化学の授業で分子の極性や形状を学ぶ際、アセチレンは最も基本的で重要な例の一つです。炭素-炭素三重結合を持つ最も単純なアルキンであり、その分子構造には特徴的な性質があります。
アセチレンの分子は、すべての原子が一直線上に配置される直線形分子であり、完全な対称性により双極子モーメントを持たない無極性分子です。この構造はsp混成軌道によって形成され、化学結合の基本を理解する上で重要な例となっています。
また、純粋なアセチレンは無色・ほぼ無臭の気体ですが、工業用アセチレンには特有の臭いがあります。これは不純物によるものであり、安全のためにわざと添加される場合もあるのです。
本記事では、アセチレンの分子の形状と極性、混成軌道と結合、物理的性質(色、匂い、状態)、他の炭化水素との比較、極性が物性に与える影響まで、徹底的に解説していきます。
アセチレンの分子構造と形状
それではまず、アセチレンの分子構造と幾何学的な形状について解説していきます。
直線形分子の構造
アセチレン(C2H2)の最も重要な構造的特徴は、4つの原子すべてが一直線上に配置される直線形分子であることです。
アセチレンの分子形状:分子式:C2H2
構造式:H-C≡C-H
分子の形:直線形(linear)
結合角:H-C-C = 180°、C-C-H = 180°
すべての原子が同一直線上に並び、H-C-C-H の4原子が180°の角度で配置されています。これは有機化合物の中でも特に単純で対称性の高い構造です。
この直線形構造は、偶然ではなく、炭素原子の混成軌道によって必然的に決定されています。アセチレンの炭素原子はsp混成を起こし、2つのsp混成軌道が180°の角度で配置されるのです。
分子の対称性:・中心対称:あり(分子の中心で対称)
・軸対称:あり(分子軸を中心に回転対称)
・対称性の分類:D∞h(最高度の対称性)
この高い対称性により、アセチレン分子は非常に「整った」構造を持ちます。分子軸を中心に回転させても、構造は変わらないという円筒対称性を示すでしょう。
立体的には、一次元的な分子とも言えます。長さはあるものの、幅や厚みの概念がない、棒状の分子なのです。
結合長と結合角
アセチレンの各結合の長さと角度には、特徴的な値があります。
アセチレンの結合データ:C≡C 結合長:1.20 Å(オングストローム)
C-H 結合長:1.06 Å
H-C-C 結合角:180°
C-C-H 結合角:180°
炭素-炭素三重結合の結合長1.20 Åは、二重結合(約1.34 Å)や単結合(約1.54 Å)と比較して最も短くなっています。結合次数が高いほど結合長が短いという一般則を示す典型例です。
| 結合の種類 | 結合長(Å) | 化合物例 |
|---|---|---|
| C-C 単結合 | 1.54 | エタン |
| C=C 二重結合 | 1.34 | エチレン |
| C≡C 三重結合 | 1.20 | アセチレン |
C-H結合長1.06 Åも、sp混成炭素の特徴を反映しています。sp混成炭素のC-H結合は、sp2混成やsp3混成の炭素よりもわずかに短い傾向があるのです。
結合角180°は、完全な直線を意味します。わずかなずれもなく、正確に180°であることが、X線結晶構造解析や分光学的手法で確認されているでしょう。
混成軌道と結合の性質
アセチレンの直線形構造は、炭素原子のsp混成によって説明されます。
アセチレンの炭素原子の混成:混成の種類:sp混成
sp混成軌道:2個(180°の角度で配置)
未混成p軌道:2個(px、py)
結合形成:
・sp-sp 重なり → C-C σ結合
・sp-1s 重なり → C-H σ結合
・p-p 側面重なり → C-C π結合×2
炭素原子は、1つのs軌道と1つのp軌道(pz)が混成してsp混成軌道を形成します。この2つのsp混成軌道は、180°の角度で反対方向を向くため、直線形の配置が実現されるのです。
2つの炭素原子のsp混成軌道が軸方向に重なり、強固なσ結合(シグマ結合)を形成します。また、各炭素のもう1つのsp混成軌道が、水素原子の1s軌道と重なってC-H σ結合を形成します。
残った2対のp軌道(pxとpy)は混成に関与せず、そのまま残ります。これらのp軌道が側面から重なり、2本のπ結合(パイ結合)を形成するのです。
三重結合の構成:・1本のσ結合(sp-sp軌道の重なり)
・2本のπ結合(px-px と py-py 軌道の重なり)
合計:3本の結合、6個の共有電子
2本のπ結合は、分子軸を中心に円筒状に分布します。これが、アセチレンの円筒対称性を生み出す要因でしょう。
π電子は分子軸の周りに広がっており、電子密度の高い領域を形成します。この高い電子密度が、アセチレンの反応性に大きく影響するのです。
アセチレンの極性
続いては、アセチレン分子の極性について確認していきます。
無極性分子である理由
アセチレンは、完全に対称な構造を持つため、双極子モーメントを持たない無極性分子です。
アセチレンの極性:双極子モーメント:0 D(デバイ)
極性:無極性分子
分子の対称性:中心対称
C-H結合自体は、炭素と水素の電気陰性度の差によりわずかに極性を持ちます。炭素の電気陰性度は2.5、水素は2.1であり、その差は0.4です。
C-H結合の極性:C(δ-)-H(δ+)
電気陰性度の差:0.4(わずかな極性)
しかし、アセチレン分子では、2つのC-H結合が分子の両端に対称に配置されています。一方のC-H結合の双極子モーメントと、もう一方のC-H結合の双極子モーメントが、正反対の方向を向いて完全に打ち消し合うのです。
その結果、分子全体としての双極子モーメントは0となり、無極性分子となります。
極性の相殺:H-C≡C-H
←δ δ→(双極子が反対方向)
合計の双極子モーメント = 0
炭素-炭素三重結合も、同じ原子同士の結合であるため極性を持ちません。したがって、分子内のすべての結合の極性が相殺され、完全な無極性となるのです。
他の炭化水素との極性比較
炭化水素は一般に無極性分子が多いですが、構造によって極性の有無が変わる場合があります。
| 化合物 | 分子式 | 分子形状 | 双極子モーメント(D) |
|---|---|---|---|
| アセチレン | C2H2 | 直線形 | 0(無極性) |
| エチレン | C2H4 | 平面形 | 0(無極性) |
| エタン | C2H6 | 立体形 | 0(無極性) |
| メタン | CH4 | 正四面体形 | 0(無極性) |
対称的な構造を持つ炭化水素は、すべて無極性分子となります。炭化水素の対称性が極性を決定する重要な要因なのです。
一方、非対称な炭化水素や、置換基を持つ化合物では、極性を持つ場合があります。例えば、クロロメタン(CH3Cl)やトルエン(C6H5CH3)などは、わずかな極性を示すでしょう。
無極性がもたらす性質
アセチレンが無極性分子であることは、その物理的・化学的性質に大きく影響します。
無極性による性質:・水への溶解度が低い
・無極性溶媒によく溶ける
・分子間力が弱い(ファンデルワールス力のみ)
・沸点・融点が低い
・電気伝導性がない
水は極性溶媒であるため、無極性のアセチレンは水にほとんど溶けません。20℃での水への溶解度は約0.12 g/100 mLと非常に低い値です。
「似たものは似たものを溶かす(Like dissolves like)」という原理により、アセチレンはベンゼンやヘキサンなどの無極性溶媒によく溶けます。
分子間力がファンデルワールス力(ロンドン分散力)のみであるため、分子間の引力が弱く、沸点が低くなります。アセチレンの沸点は-84℃であり、常温では完全に気体状態なのです。
無極性分子は電荷の偏りがないため、電気を通しません。ただし、高圧や特殊な条件下では例外的な挙動を示す場合もあるでしょう。
アセチレンの物理的性質(色と匂い)
続いては、アセチレンの見た目や匂いなどの物理的性質を確認していきます。
色と外観
純粋なアセチレンは、無色透明の気体です。
アセチレンの外観:色:無色(colorless)
透明性:透明
状態:気体(常温常圧)
可視性:目に見えない
アセチレンは可視光を吸収しないため、完全に無色です。可視光領域(約400~700 nm)に吸収帯を持たず、光がそのまま透過します。
気体であるため、通常は目に見えません。ただし、大量に放出された場合や、温度差がある場合には、屈折率の違いによる「ゆらぎ」が観察されることもあります。
液化アセチレン(極低温または高圧下)も無色透明の液体です。固体アセチレン(-81℃以下)は白色の固体となるでしょう。
工業用アセチレンボンベから放出されるガスは、不純物や添加物により若干の色を帯びる場合があります。しかし、これはアセチレン自体の色ではなく、混入物による着色です。
アセチレン炎(酸素と燃焼させた場合)は、明るい白色~青白色の炎を発します。これは燃焼時の高温により発光するもので、アセチレン自体の色ではありません。
匂いと嗅覚的特徴
純粋なアセチレンの匂いについては、興味深い事実があります。
アセチレンの匂い:純粋なアセチレン:ほぼ無臭(odorless)
工業用アセチレン:特有の臭気あり
臭いの原因:不純物(硫黄化合物、リン化合物など)
化学的に純粋なアセチレンは、ほぼ無臭か、わずかにエーテル様の甘い香りがする程度です。しかし、実験室や工業現場で扱うアセチレンには特徴的な臭いがあります。
工業用アセチレンの臭いは、主に製造過程で混入する不純物によるものです。
工業用アセチレンの不純物:・硫化水素(H2S):腐卵臭
・ホスフィン(PH3):ニンニク様臭
・アンモニア(NH3):刺激臭
・その他の有機硫黄化合物
カーバイド法(CaC2 + H2O → C2H2)で製造されたアセチレンには、これらの不純物が含まれやすくなります。特に、原料の炭化カルシウムに含まれる硫黄やリンの化合物が、アセチレン中に混入するのです。
この臭いは、安全面では有益な側面もあります。無色で無臭のガスは漏洩に気づきにくく危険ですが、特徴的な臭いがあれば漏洩を早期に発見できるでしょう。
実際、LPガスなどの可燃性ガスには、安全のために意図的に臭気物質(メルカプタンなど)を添加することがあります。アセチレンの場合、不純物が自然に警告臭として機能しているのです。
「アセチレンは臭い」という印象は、工業用アセチレンに特有のものであり、純粋なアセチレン自体の性質ではないことを理解することが重要です。
その他の物理的性質
色や匂い以外の物理的性質も確認しておきましょう。
アセチレンの物理定数:分子量:26.04
沸点:-84℃
融点:-81℃
密度(気体、0℃):1.17 g/L
蒸気密度(空気=1):0.91
アセチレンの蒸気は空気よりわずかに軽く、空気中では上昇する傾向があります。これは、ジエチルエーテル(蒸気密度2.6)などの重い蒸気とは対照的です。
漏洩したアセチレンは上方に拡散しやすいため、換気の際は天井付近の排気に注意する必要があります。
常温での粘度は低く、流動性が高い気体です。圧縮性も高く、高圧下では液化しますが、爆発の危険性があるため、ボンベ内ではアセトンなどに溶解させた状態で保管されるのです。
物性への極性の影響
続いては、アセチレンの無極性が物理的性質にどのように影響するかを確認していきます。
沸点と融点への影響
アセチレンの沸点と融点は、その無極性と分子間力の弱さを反映しています。
分子間力と沸点の関係:アセチレン:無極性 → ファンデルワールス力のみ
沸点:-84℃(非常に低い)
融点:-81℃(非常に低い)
分子間力が弱いため、少しのエネルギーで分子を引き離すことができ、低温でも気体になります。液体状態を保つために必要な温度が非常に低いのです。
極性分子である水(H2O)と比較すると、その差は明確です。
| 化合物 | 分子量 | 極性 | 沸点(℃) |
|---|---|---|---|
| アセチレン | 26.04 | 無極性 | -84 |
| 水 | 18.02 | 極性(水素結合) | 100 |
水は分子量が小さいにもかかわらず、水素結合という強い分子間力により、沸点が非常に高くなっています。アセチレンより分子量が小さいのに、沸点は180℃以上も高いのです。
同じ炭化水素でも、分子量が大きくなるとファンデルワールス力が増大し、沸点が上昇します。プロパン(C3H8)の沸点は-42℃、ブタン(C4H10)は-0.5℃となり、徐々に高くなるでしょう。
溶解性への影響
「似たものは似たものを溶かす」という原理により、無極性のアセチレンは極性溶媒には溶けにくく、無極性溶媒にはよく溶けます。
アセチレンの溶解性:極性溶媒(水など):溶解度低い
水への溶解度:約0.12 g/100 mL(20℃)
無極性溶媒(ベンゼン、ヘキサンなど):溶解度高い
有機溶媒(アセトンなど):よく溶ける
アセチレンボンベでは、アセトンに溶解させた状態で保管されます。アセトンは極性溶媒ですが、アセチレンを大量に溶解できる性質があります。これは、アセトンのカルボニル基がアセチレンのπ電子と相互作用するためです。
20℃、1気圧で、アセトン1リットルあたり約25リットルのアセチレンガスを溶解できます。この高い溶解性により、安全なボンベ保管が可能となるのです。
無極性溶媒であるベンゼンやトルエンには、アセチレンは非常によく溶けます。これらの溶媒中でアセチレンの化学反応を行うことも多いでしょう。
反応性への影響
極性は反応性にも影響します。無極性のアセチレンは、求電子試薬との反応において特徴的な挙動を示します。
アセチレンの反応性:三重結合のπ電子:電子豊富な領域
求電子試薬と反応しやすい
例:臭素付加、酸触媒水和反応
アセチレンは無極性分子ですが、三重結合部分には高密度のπ電子が存在します。この電子豊富な領域が、正電荷を帯びた求電子試薬を引き寄せるのです。
臭素(Br2)のような求電子試薬は、アセチレンのπ電子に攻撃され、付加反応が進行します。分子全体としては無極性でも、局所的な電子密度の偏りが反応性を生み出すでしょう。
極性分子との相互作用では、誘起双極子が形成される場合があります。強い極性を持つ分子が接近すると、アセチレンの電子分布がわずかに変化し、一時的な極性が誘起されるのです。
まとめ アセチレンの分子の形や匂いは?色は?
アセチレンは、4つの原子(H-C-C-H)がすべて一直線上に配置される直線形分子であり、結合角は180°です。炭素原子はsp混成を起こし、2つのsp混成軌道と2つの未混成p軌道により、1本のσ結合と2本のπ結合から成る三重結合を形成します。炭素-炭素三重結合の結合長は1.20 Åと非常に短く、強固な結合を持つのです。
極性については、C-H結合自体はわずかな極性を持ちますが、分子の完全な対称性により双極子モーメントが打ち消され、双極子モーメント0 Dの無極性分子となります。この無極性により、水への溶解度は低く(約0.12 g/100 mL)、無極性溶媒にはよく溶け、分子間力はファンデルワールス力のみであるため沸点が-84℃と非常に低くなっています。
物理的性質として、純粋なアセチレンは無色透明でほぼ無臭の気体ですが、工業用アセチレンには硫化水素やホスフィンなどの不純物により特有の臭気があります。この臭いはアセチレン自体の性質ではなく、製造過程で混入する不純物によるものであり、結果的に漏洩検知の警告臭として機能しています。
蒸気密度は空気よりわずかに軽く(0.91)、漏洩時は上方に拡散する傾向があるため、換気の際は天井付近の排気に注意が必要です。アセチレンの直線形構造と無極性という特徴は、その物理的・化学的性質を理解する上で基本となりますので、しっかりと理解してください。
いつもありがとうございます!